1丁目1番地から地域観光を知る
HORTO札幌です。
6月第3週の土日はどうもパッとしない天気でした。
この土日は別件があり、ポタリングなどはクローズ。
日曜日は、当別青年会議所が開催するまち発見のツアーがあり、参加してみました。
人数としては25名ほど、地元の方が多いですね。
町内から貸切バスで巡ります。
バスは運転する立場なので、たまに乗ると新鮮です。
まちを作った先人(岩出山伊達藩・伊達邦直公)は明治維新の折に家臣を養えないくらいまで石高を減らされ、生き抜くために現在の宮城県から船や徒歩で移動し隣町、石狩市の石狩川河口に近い場所(聚富」:シップ)に入植したようです。
当時の石狩平野は鬱蒼とした木々が茂る森だったようで、少しでも開けたところを探して開墾したようですが、開けているとはつまり土地は痩せていて、当時はとても栽培できる環境ではなかったとの事。
考えればわかりますが、浜で植物を育てるのは潮風や土壌を考えると難しいのですが、そんなこともまだ知らない当時、トライ&エラーの繰り返し、まさに手探りだったようです。
君主と臣下が共に新天地を求めて未踏を拓く、何だかすごいことですね。
この浜から当社本拠地の町まで20キロ超の場所に新天地を求めて移動したのが明治5年だそうで、そこから町づくりが始まります。
伊達藩は北海道開拓に多大な寄与をしましたが、君主が率先して開拓をしたまちは北海道では少ない例です。
礎は整備されていますが、この意味がなかなか知られていないと思います。
ガイドの価値はこういう事に現れます。
少し早い昼ご飯、地元素材を使った弁当です。
悪くないですが、ディレクションをしっかりするともっと変わると感じます。
昼ご飯後、まち開拓の1丁目1番地となる伊達邸別館へ。
趣がある建物です。
向かいにある当別神社へ。
当別神社に祀られている神は、伊達邦直公との事。
それだけ敬愛を持たれた主君であったようです。
立場を超えた「協働」の大切さを感じます。
宮司の後藤さんからこのまちの歴史の話を伺いました。
知ることでの気づき、現代に生きるありがたみを感じます。
ツーリズムとはそういうものであるべきです。
「観光」とは国の光を観ること、つまりキラリと光るものを知ってもらうことが言われです。価値は物事の見方によって変わるものであり、それらをよりよく知るために必要なのが「ガイド」だと考えています。
スキーのガイドもそう、庭のガイドもそう、ガイドにより新たな価値を見出せるかどうか、決してガイドはボランティアであるべきではないと感じております。
本拠地のある町はまだ粗削り、観光も良い素材や生産物だけの状態です。
そのリソースをたとえば食べやすく刻んだり、煮たり焼いたり、ドレッシングをかけることで美味しい料理に変えることが、観光のプロの仕事たる矜持です。
そんなものを作り続けたいですね。
青年会議所の皆様、お疲れさまでした。